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パネルディスカッション ②「地域で生きる、地方ではたらく」1/3

 

100年の急坂を下りながら、地域が自立していくには?

 

神山典士(以下、神山) みなさん、よろしくお願いします。「地域で生きる、地方ではたらく」。これが今日僕らがいただいた演題なんですけど、まさに人口減少時代、地域が疲弊している時代にオリザさんはなんと、劇団ごと兵庫県の豊岡市に移住することを発表されました。早ければ来年くらいから豊岡でつくり、豊岡で公演し、そこから日本中、あるいは世界へ劇を持っていくという。これまでの演劇界のあり方とは真逆の演劇活動を続ける。日本中を回り、あらゆる地域でコミュニケーション教育、あるいは演劇を使った様々なメソッドを地域おこしに活用しているわけですが、ご自身も課題解決型のアクションを起こすという、模範ですね。

 

平田オリザ(以下、平田) いやいやいや。たまたまです。

 

 

◆登壇者プロフィール

 

平田オリザ  劇作家・演出家・青年団主宰。こまばアゴラ劇場芸術総監督・城崎国際アートセンター芸術監督。1962年東京生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。1995年『東京ノート』で第39回岸田國士戯曲賞受賞。1998年『月の岬』で第5回読売演劇大賞優秀演出家賞、最優秀作品賞受賞。2002年『上野動物園再々々襲撃』(脚本・構成・演出)で第9回読売演劇大賞優秀作品賞受賞。2002年『芸術立国論』(集英社新書)で、AICT評論家賞受賞。2003年『その河をこえて、五月』(2002年日韓国民交流記念事業)で、第2回朝日舞台芸術賞グランプリ受賞。2006年モンブラン国際文化賞受賞。2011年フランス国文化省より芸術文化勲章シュヴァリエ受勲。大阪大学COデザインセンター特任教授、東京藝術大学COI研究推進機構特任教授、四国学院大学客員教授・学長特別補佐、京都文教大学客員教授、(公財)舞台芸術財団演劇人会議理事長、埼玉県富士見市民文化会館キラリ☆ふじみマネージャー、日本演劇学会理事、(財)地域創造理事、豊岡市文化政策担当参与、岡山県奈義町教育・文化の町づくり監。

 

 

神山典士 ノンフィクション作家。株式会社バザール及び、東京塾を主宰。1960年生まれ。信州大学人文学部心理学科卒業。TV雑誌記者を経て1987年よりフリーランス・ライターとなり、1990年、株式会社バザールを設立。1996年『ライオンの夢、コンデ・コマ=前田光世伝』にて小学館ノンフィクション賞優秀賞受賞(現在は『不敗の格闘王、前田光世伝』〈祥伝社黄金文庫〉。2011年『ピアノはともだち、奇跡のピアニスト辻井信行の秘密』〈青い鳥文庫〉が全国読書感想文コンクール課題図書選定。2014年「佐村河内事件報道」により、第45回大宅壮一ノンフィクション賞、日本ジャーナリズム大賞受賞。20187、長野県小布施町・東京都墨田区と組んで『知られざる北斎』上梓。

 

 

神山 はい、ということで話をしていきたいと思います。まずこの図を見てください。今日僕ら二人が話すことの前提は、すべてこの日本の総人口の長期トレンドをベースにしているとご理解ください。

 

画像提供:神山氏

 

ちょうど槍ヶ岳みたいな頂点がありますけど、あれは2008年です。2018年は、そこから10年右へ進んでいますから、僕らはこの急坂を一緒に転げ落ちている。僕はいま58歳ですが、死ぬまでこの下り坂を降りなきゃいけない。のみならず今日この瞬間にオギャーと生まれた赤ちゃんも、あと100年はこの下り坂を降りなきゃいけない。

 

さらに言うと、こんなに急な上り坂と、こんなに急な一直線の下り坂を経験する人口1億人以上の国は未だかつてなかった。だから僕らは、人類史上初めて、この急坂を下る。下りながら幸せを掴まなきゃいけない。各自の自己実現をしなければいけない。地方は地方で、この下り坂を下りながら、地域の自立をしていかなければいけない、という局面にあります。

 

だから僕はよく言うんです。「地球船日本丸」という船があったとすると、僕らは乗船者として全く同じ運命を生きている。仮にこの船が沈んじゃうとしたら、全員で沈む。仮にこの船がいい港に入れるとしたらば、全員で豊かになれる。僕らはそういう運命共同体を生きていると思って聞いていただけたらと思います。オリザさん、そういう認識でよろしいですか?

 

写真左から:神山典士氏・平田オリザ氏

 

平田 はい、はいはい。

 

神山 で、オリザさんはかれこれ20年になりますか?日本中でワークショップを展開し、特にここ10年くらいは演劇を使った地域おこしを明確に意識されて活動されている。オリザさんが地方へ向かい地域を見るときに、どういう視点でその地域を見ていくかというあたりからお話をいただけますか。

 

 

イオンじゃ恋は生まれない

 

 

平田 そもそも僕は劇作家なので、今日もなぜ呼ばれたのかあまりよくわかっていないんですね。大学では、アートマネージメントという文化・教育政策を教えてきて、講演会の仕事もたくさんあります。以前、高山市にも教育政策の話で呼んでいただいたこともあります。この45年は急に、地方自治体の方から「人口減少についてなにか喋ってください」とか、地方創生の予算でお呼びいただく機会が増えました。そもそも劇作家に人口減少問題について聞くようになったらもうこの国は終わりだと僕は思っているんですけど(笑)。

 

ただ劇作家というのは客商売なので、目の前の方たちを楽しませなきゃいけないという強迫観念があってですね。なので、全然関係ないんですが、いろいろ調べて考えたんです。スキーの人口が、いますごく減ってますでしょ。どのくらい減っているかというと、この20年で3分の1になりました。当初2000万人くらいいたのが、たぶん800万とか700万とか。スノボの人口は増えているんですけど、足しても半減以上の激減なんです。

 

スキーの人口減少が「ヒドイヒドイ」と言っても、実際の若者人口は2割しか減っていないんですね。そこにはいろんな理由があると思います。インターネットや、ほかに楽しいことがいろいろできたとか。若者たちの可処分所得が減っている、車を持てなくなっている。一説によると若い奴の根性がなくなって、寒いところに行かなくなった説までいろいろあるんですけど、テニスも海水浴の人口も減っているので、たぶん、これは違うと思うんですね。

 

もちろん、最大の理由は、若者人口そのものの減少です。しかし、若者人口は減ったと言っても2割です。これもたいへんなことですが、スキーの激減に比べれば減り方は少ない。統計学者や観光学者は、「若者人口が減ったから、スキー人口が減った」という風に言います、全員が。だけど劇作家はそういう風にものを見ないです。劇作家というのはひねくれたものの見方をするのが仕事なので、みんなは「若者人口が減ったから、スキー人口が減った」というけど、そうじゃないんですね。「スキー人口が減ったから、若者人口が減った」んです。もう一回言いますよ。

 

スキー人口が減ったから、若者人口が減ったんですね。私たちの世代(1990年代初頭)まで、スキーは20代男子が女性を一泊旅行に誘えるもっとも合法的な手段だったわけです。これが減ったらそりゃあ人口減少になるでしょう、当然。スキーはもちろん象徴に過ぎないんですけど、要するに、地方都市の街の中にジャズ喫茶とかライブハウスとか、画廊とか写真館とか、そういう出会いの場をぜんぶ無くしていって、行政が慣れない婚活パーティをしているとかっていうのがいまの現状です。要するに地方の若者たちはどこで出会うんですか?ってことなんです。イオンじゃ恋は生まれないんですね。

 

(会場、笑い)

 

で、それをどうにかしていかなきゃいけないという話を思いついたんです。全く根拠はないんですけど、思いついたんですね。そしたらことの外、面白がる首長が日本に10人くらいはいて、そういう場所に加速度をつけて呼ばれるようになりました。そのうちのいくつかがこれからお話していく地域です。

 

 

各地域の取り組み

 

 

香川県小豆島瀬戸内国際芸術祭

平田 小豆島はご承知のように瀬戸内国際芸術祭で大変な成功をして、「瀬戸内国際芸術祭」の開催地でもあります。非常に広範囲でやっているように見えるんですけど、高松から小豆島に渡ってからでないと、豊島とかに行けないようになっているので、あれはほとんど小豆島の独り勝ちなんですね。帰りは必ずみんな小豆島でオリーブ、そうめん、醤油、オリーブ牛という牛だったり、お土産を買って帰ります。逆にいうと、お土産になるようなものが小豆島にしかない。また、芸術が産業に結びつく成功例として、いま小豆島はすごく頑張っていらっしゃいます。

 

岡山県奈義町先進的な子育て・教育施策

奈義町というのはみなさんあまりご存知ないかもしれませんが、岡山県の北東部に位置し、鳥取県と接する人口6000人の小さな町です。ここが3年ほど前に、特殊出生率2.81という日本一になりましてすごく話題になりました。一年だけのことではなくて昨年の速報値も2.4くらいだったので、人口減少はもうほぼ止まるだろうと考えられています。これはカラクリが簡単で、隣に津山市という人口10万人の大きな市があるんですね。

 

地方在住の方はお分かりになるかと思うのですが、東京にいると勤務地の沿線に住みますね。しかし地方は車社会なので、津山であれば、津山の周りの車で30分圏内であればどこに住んでも同じな訳ですよね。結婚、出産、あるいは家を建てるときに、どこに住むかを若い人たちは考えるわけですね。すると当然、教育と子育て施策のしっかりしたところに住むようになります。まぁおそらく8割型は奥さんの意見で決めると思います。

 

これはいい悪いではなくて、現状子育ての8割は女性が担っている。男は昼間は働きに行くだけなので、どこに帰ってきても一緒です。生活の基盤は女性が担うので、当然、女性の意見で住む自治体を決める時代になってきました。奈義町は先進的に子育てと教育を徹底的に支援してきたため、雪崩を打って津山に働いている若い夫婦が、いまは奈義町に住むようになっている。で、その人たちが3人目4人目を産むので、一挙に人口増に転じているところです。

 

奈義町の場合はただ単に教育施策だけではなくて、町の文化として、農村歌舞伎を守っています。子どもたちは小学校で全員歌舞伎をやるんですね。それから希望者は幼稚園から高校まで週一回の歌舞伎教室に無償で参加が可能です。要するに習い事も無償なんです。それから6000人の町ですけど、なぜか磯崎新が建築した現代美術館を持っている。図書館も磯崎さん建築なんですけれど、文化資源がすごくある町なんですよね。そうすると、おしゃれなイメージができて、若い夫婦が移り住んでくるという流れが全国的な傾向になっています。

 

北海道東川町「写真甲子園」の取り組み

 

実は他にも例があります。今日は工芸の方たちのお集まりなので、ご存知の方も多いかと思うんですが、北海道の東川町です。家具で有名な町ですね。ここも「写真甲子園」というのを30年前に始めて、いま東川町は「写真文化首都」という風に名乗っています。写真に関しては、首都は東京ではなくて、東川町が日本の中心なんだと。ここも旭川市に隣接した町なので、旭川からJターンもすごく増えています。8000人代だった人口が6000人代に一度は落ちたんですけど、いまは7000人代に回復して、ここはもう上昇に転じています。そういうことに気がつき始めた自治体がいくつか出てきている。

 

 

兵庫県豊岡市。 21世紀の「城の崎にて」の採掘

 

 

平田 兵庫県豊岡市は高山市と状況がすごく似ています。人口8万人前後。市町村合併でものすごく巨大な面積になりました。高山もそうだと思うのですが、豊岡も兵庫県の中でいちばん面積の大きな市です。豊岡市には1000年以上の歴史のある城崎温泉がありますね。また、豊岡の場合、工芸は鞄ですね。柳行李(やなぎこうり)を発祥とする鞄産業があり農業も盛んです。そしていま、インバウンドがちょっと想定外なほどに増えている。豊岡もこの5年で城崎温泉を中心にインバウンドが40倍になりました。しかもほとんど口コミです。そうしたところは、高山とすごく似ていると思います。

 

豊岡市フォトライブラリー

 

豊岡市の場合には、城崎温泉の近くに「城崎大会議館」というコンベンション施設があったんですね。1000人収容の国際会議場だったんですけど、最後の方は1年間に20日間くらいしか使われていなかった。30年間1000人入ったことが一度もなくて、最高に入ったのが「新婚さんいらっしゃい」の公開ロケがあった時に630人という。会議やってないじゃないかという(笑)。それを県が豊岡に払い下げるという、まぁよくあるお荷物施設の押し付けですよね。それを潰して駐車場にするかという話をしていたらしいんですけど、「若いダンスカンパニーとか、劇団の稽古場として貸したらどうか」と、市長が急に言い出したんです。

 

その時にたまたま文化講演会に呼ばれて、僕は豊岡にいたんです。担当者から、「市長がこういう風に言っているので施設を見ていただけませんか」と言われて見に行ったんですが、公民館をそのまま大きくしたような、とてつもなくダサい施設だったんです。

 

今時こんなにダサい施設あるかと思って、「これはよっぽど頑張ればどうにかなるかもしれませんけど、チョット難しいと思いますよ」と僕は言ったんですけど、その担当者は演劇が大好きな方で、しかも市長と中高が同級生だったんです。それで、市長に「平田先生が頑張れば大丈夫って言ってました」と嘘を伝えて(笑)。

 

ちなみに城崎というのは、街並みの真ん中に大きなホテルを建てないことになっていて、木造3階建ての街並みをずっと守ってきたんです。50年くらい前までは旅館の中には内湯もなかったので、「食事をしたら外へ出て、街の外湯に入ってください」「町歩きを楽しんでください」というスタイルでやってきたそうです。それが関西の若い子たちを中心に大ヒットして、いまでは卒業旅行で女子学生たちがたくさん城崎温泉に来るようになり、それを目当てに男子も来るようになりました。7月になると初ボーナスで親孝行旅行ですね。街並みの風情がおしゃれなイメージでとても賑わっているんですね。

 

一方で、志賀直哉だけじゃなくて桂小五郎を匿ったとか、かつて「文人」と呼ばれた人を一ヶ月くらい泊めて、最後に書をいただければタダみたいなことを、城崎ではずっとやってきたんです。あそこの街は、志賀直哉が蜂の死骸を見つけただけで「温泉と文学の街」と言って100年近く食っているんですよ。それって「アーティストインレジデンスだよね」という話から、21世紀の『城の崎にて』ができればまたあと100年食っていけるじゃないか、という話になったんです。目利きのプロデューサーに滞在するアーティストを選んでもらい、城崎に滞在してもらって、表現してもらう。

 

神山 志賀直哉は確か、1週間か10日、城崎に滞在しただけですよね。

 

平田 そうそうそう。事故があって城崎に滞在して、ずっとあとに『城の崎にて』を書き上げた。それだけで「温泉と文学の街」と名乗ってるんですからね。ただし21世紀の「城の崎にて」は、小説とは限らない。それがコンテンポラリーダンスかもしれないし、メディアアートかもしれないと。そこで大事なことは、世界に発信すること。

 

次の21世紀は世界に発信できる「城の崎にて」だと思いつつ、施設のダサさに内心「これじゃあダメだ」と思っていたんです。けれど蓋を開けて募を始めて見たら、世界中から申し込みが来た。昨年度は、24カ国から100近い申し込みが来て、その中から15件を選んで、毎月のように使っていただいています。

 

アートセンター|写真提供:豊岡市

 

神山 ここは滞在型の稽古場ですね。舞台は世界中のどの劇場にも対応できるだけの広さがあります。道具の叩きや製作もやっていいし、自由に道具を使ってもいい。その上、最長3ヶ月まで使用料と宿泊料はタダ。食費と交通費だけは自分たちで出してください、宿泊施設もありますよと。プラス、町民料金で外湯めぐりもできる。

 

平田 城崎には7つの外湯があります。その外湯巡りというのが観光の目玉なんですが、一般の利用者(観光客)は1200円でパスを買うと全部の外湯に入れるんですね。もちろん旅館に泊まると、そのパスはもらえるんですけれど。で、豊岡市民は確か400円で旧城崎町民は1100円なんですね。

 

神山 なるほど。

 

平田 アートセンターに泊まったアーティストは町民扱いなので、外湯一箇所につき100円なんです。そのためだけに、地元は条例を変えましたから、彼らは町民扱いです。

 

神山 すごいですね。それでどういうことが起きるかというと、外国のアーティストが来て、1ヶ月なり3ヶ月そこに滞在する。毎日湯めぐりができる。しかも、浴衣みたいなのを着たりしてもいい。もう最高のインスタ映えですよね。ドンドン情報を本国に送る。その結果、インバウンドが40倍ですか?

 

平田 それはですね、アートセンターができたからインバウンドが40倍になったわけではないんです。たまたまインバウンドが40倍になった時期と、アートセンターができて、世界から一流の外国人がたくさん来るようになった時期が重なっているという。

 

例えば、映画好きの人ならわかるかと思うんですが、『ふたりのベロニカ』という作品で主演をしたイレーヌ・ジャコブという女優さんが城崎に一ヶ月滞在しました。カンヌ映画祭の審査員などをやっている女優ですから、彼女が発信するとフランスのある種の富裕層たちはみんな、「城崎、城崎」と言って訪れるわけですよ。ものすごく安上がりな観光大使ですね。

 

城崎の旅館の人たちは、最初は疑心暗鬼だったんだけど、いまではアートセンターの存在がインバウンド増加のシンボルみたいなかたちになっています。城崎の旦那衆はよく勉強しているので、これからの国際型リゾートにアートは不可欠だということも理解しています。そういう意味で、みんなあたたかく、アーティストを受け入れているってことなんです。

 

神山 つまり、スキーと若者人口と、城崎とインバウンドと。相関があるわけですね。

 

平田 行政の場合、最終的に数値目標を立てなきゃいけないじゃないですか。5年以内にインバウンド何倍になりますとか、外国人定住率何倍になりますとか。そこで、僕と市長の裏数値目標は、30年後に城崎温泉の若旦那衆の3分の1がハーフになっているというのが目標です。

 

神山 おー!愛が生まれるわけですね!

 

平田 早くくっついちゃえと(笑)。

 

神山 でもみなさんね、ここで注目して欲しいのは、豊岡の中貝市長と言うんですけれど、この人とオリザさんの出会いであり、いまオリザさんが言ったようにダメかもしれないけど、稽古場でもやったらどうですかっていうのを真に受けて、「よしやろう!やってみようじゃん!」という風に即決に近いかたちで動き出す姿勢ですよね。

 

平田 っていうかアイディア自体、中貝さんが出したものですからね。豊岡市というのはですね、もともとコウノトリの再生で非常に名を売りました。

 

 

次回【パネルディスカッション ②「地域で生きる、地方ではたらく」2/3「コウノトリ議員」と呼ばれた中貝市長】へ続きます

 

 

テキスト編集:中條美咲

写真:さんち編集部

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