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パネルディスカッション ②「地域で生きる、地方ではたらく」2/3

 

「コウノトリ議員」と呼ばれた中貝市長

 

 

平田 豊岡市というのはですね、もともとコウノトリの再生で非常に名を売りました。中貝市長自体が、県議会議員時代からコウノトリの再生に命をかけていて、「コウノトリ議員」と呼ばれていた。

 

◆前回までのお話はこちら
 パネルディスカッション ②「地域で生きる、地方ではたらく」1/3

 

写真左から:神山典士氏・平田オリザ氏

 

「コウノトリしかお前やることがないのか」って言われていたくらいに、再生なんかするわけないとバカにされていたんですよ。実際に卵は産むんだけど孵化をしない日々が20数年続いて。孵化に成功して放鳥まで至るとは、誰も思っていなかったんですね。でもいまは、100羽くらい空を飛んでいます。そして観光の最大の目玉になっているんです。

 

コウノトリというのは、完全肉食なんですね。だから田んぼにフナとかドジョウとかがいないと生きられないんです。それからコウノトリは人間と一緒に暮らしている鳥なので、里山がないと山では暮らせないらしいんです。豊岡に行くとびっくりするんですが、田植えをする人の横に普通にコウノトリがいるんですよ。人を全然怖がらないので、たぶん絶滅しかけたんですけど。それでですね、中貝さんは「コウノトリの郷公園」というのを県に作らせるんですけど、周りの農家を説得して、どんどん無農薬の田んぼを増やしていくんですね。

 

写真提供:豊岡市フォトライブラリー

 

それから通常の田んぼは冬は水を抜くんですけど、豊岡の田んぼは、水を全部は抜かないんです。だからその風景も綺麗なんです。田んぼの水を抜かないのは農家にとって多少は負担なんだけど、ものすごい負担というほどではない。水を抜かないのでフナもいられる。それから農水省の指導でね、区画整備みたいにどんどん畦道を整備していくでしょ。一旦整備したものを次々に崩して土に戻して動物が通れるようにした。そして、そこでできたお米を「コウノトリ育むお米」とブランド化したところ、これがものすごい高い値段で売れています。5キロで4000円とかなんですけど、ガンガン売れているんです。

 

神山 なるほど。

 

平田 で、いまそれが香港とかニューヨークでもすごく高い値段で流通しています。

 

神山 それでオリザさんの家にもコウノトリがやってきた?

 

平田 はい、そうなんです(笑)。僕に子どもが生まれたのも、完全に豊岡効果です(笑)。

 

神山 ハハハハハッ。名前はなんていうんですか?

 

平田 あ、うちのですか?うちはひらがなで「とほ」といいます。それはどうでもいいんですが(笑)。 豊岡ではその成功体験がまずありました。今日はせっかく工芸のお集まりなので、豊岡の鞄についてもお話したいと思います。ご承知の通り豊岡のカバンメーカーはもともと、完全な下請けだったんですけど、ブランド化して「豊岡鞄」ということで売り出したんです。それによって有名になり、職人さんも誇りを持って作るようになりました。豊岡鞄は単価もすごく高いので、それをまたインバウンドの人が買うんですね。

 

豊岡鞄|写真提供:豊岡市

 

みなさんもそうだと思うんですけど、自国でも買えるけど本場で買うというのがステータスなんですよね。特にカバンって好きな人は本当に好きですから、5万円でも10万円でも出すでしょう。いまではタイとか香港の富裕層の方が買って帰って「これ豊岡で買ってきたんだよ」と言って威張るみたいな流れができている。

 

神山 豊岡鞄はそういうブランドになっている?

 

平田 ブランドになっている。

 

神山 そしてまた、バッグ業界は「アルチザン」という学校を作っている。

 

平田 そうですね。カバンの学校「Artisan School」も作っています。一年間で120万円くらいかかるのですが、みなさん自腹を切って学びに来るんですよ。そして半分くらいの方はそのまま豊岡の鞄メーカーへ就職をする。これも豊岡の特徴で、一社が頑張るというよりも組合全体で取り組みを支えていく。運命共同体的なところですね。さっきの旅館もそうですが、駅前通りが廊下で各旅館が部屋、外湯がお風呂。城崎にはそういうキャッチフレーズがあって、協会全体を盛り上げている。

 

神山 そういう意味でまとめると、オリザさんは地方に行ったときにどこを見るかというと、長のセンス。それから、リベラルであるかどうか。

 

平田 そうですね。まずね、文化とか芸術とかを「わかる・わからない」という首長さんのセンスはどうしようもないですよね。僕、20数年こういう仕事をやってきましたけど、説得するとかそういうことは「無理」ということが良くわかりました。

 

神山 文化をテーマに首長を説得するのは無理?

 

平田 はい。なので、僕はよくこういう会で、「うちの自治体はどうすればいいんですか?」という質問が必ず出るんですよ。僕はそこで、「選挙でセンスのいい首長を選んでください」と答えます。それしかないんです。それからよく、「うちの市長にこの話を聞かせてください」と呼ばれて講演に行くんです。行って話しても、わからない人はわからない。変わらない人は変わらないんですよ、残念ながら。ほんとにこればかりはしょうがないんです。いまだに公共事業を持ってくるのが市長や県知事の仕事だと思っている市長や知事さんも多いですから。そして選挙基盤がそこにあり、選挙に強くてアートに関心のある長は、だいたい選挙に弱いんですよ。

 

神山 なるほど。

 

平田 だから、アートに強い長が当選して施策を講じても打ち上げ花火になっちゃうのは、選挙に落ちるから続けられないんです。打ち上げ花火にしようと思ってしているわけじゃないんです。ただ、中貝さんはコウノトリを復活した名物市長として基盤を築いた。そういう安定した政権じゃないとアートに取り組むのは無理というところはありますね。

 

神山 オリザさん最近は、文化と教育の一元化ということで、文化だけじゃなく、教育も掲げていらっしゃいますよね?

 

 

演劇を通じた豊岡流、コミュニケーション教育

 

 

神山 豊岡市に「アルチザン」という学校がある。それはつまり街として若者を呼び込むシステムを持っている。若者が絶えずやってくるシステムを作ったところというのは、僕は強いなぁと思うんですけどね。

 

平田 そうですね。豊岡市は市内に39の小中学校があって、この小中学校は昨年度から全校で演劇を通じたコミュニケーション教育というのをやっています。小中連携の目玉が、「コミュニケーション教育」と「ふるさと教育」と「英語教育」なんですね。豊岡では、英語を幼稚園保育園から学ぶ。そしてこれらを連動させてやっていこうということで、ふるさと教育の中に鞄工場の見学とかいろいろあるんですけど、ただ学ぶだけではなくて、コミュニケーション教育によって、ふるさとについて学んだことを伝えられるようにしていく。さらにできれば、英語で伝えられるようにしていく。

 

ちなみに僕は、小学校からの英語教育は基本的には反対なんです。でも、文科省からの指導でこれをやらなきゃいけないということで、豊岡市はいち早く「豊岡市の英語教育はグローバル教育ではない」と宣言している。要するに世界で戦える人材を育成する気は豊岡は全くないと。世界で戦うのではなくて、豊岡を国際化するための英語教育です。だから習った単語を使って、片言でもいいから、豊岡市を紹介するようなお芝居をつくる授業を日本語と混ぜてやっています。

 

その中でさらにやりたい子は、もうちょっと本格的なプロのワークショップが受けられたりとか、城崎国際アートセンターに来ている外国人のアーティストから直接ワークショップを受けられる機会がふんだんに保証されているということですね。

 

それを豊岡市としては人口減少対策の目玉として、東京や大阪などでも豊岡市主催の演劇ワークショップをやっているんです。いま、若いお母さん方は教育にはすごく関心があるので、例えば平田オリザのワークショップをタダで受けられると聞いたら、東京や大阪の方たちは来るじゃないですか。ワークショップをやって、「ちなみに豊岡市ではこういう教育・文化政策をやっていますよ」と最後にIターンのパンフレットを配る。

 

コミュニティー教育の様子|写真提供:豊岡市

 

一番高いものを最後に売る「羽毛ぶとん商法」と僕らはいっているんですけど(笑)。Iターン政策って日本中のあらゆる自治体がやっているんですけど、自治体の方というのは来る理由ばかりを考えている。アンケート調査をすると必ず、「豊かな自然の中で子どもを育てたい」とみんな書くんですよ。でも豊かな自然は日本中にあるから、そうじゃなくて来ない理由を潰していかないといけないんですね。

 

来ない理由の多くは、雇用と医療と教育。あと広い意味での文化。実際には、日本中人手不足なので、雇用はあるんですよね。ただし地方の場合、一つの仕事ではなかなか生きづらかったりだとか、現金収入も圧倒的に少なくなってしまう。だから副業とかをちゃんと認めてやっていけばいい。それから医療は、相当充実してきています。あとは教育とスポーツなども含めた広い意味での文化ですね。楽しみがあるかどうかとか。そこをやっていかないと、Iターン者は増えない。そこに気が続いた自治体と気が付いていない自治体で、たぶん今後10年くらいで大きな差がついてしまうんだろうなぁと思います。

 

神山 豊岡の話は、僕もオリザさんの取材をさせてもらって何度も聞いているんですけれど、どんどんバージョンアップされていて、中貝さんとオリザさん、あるいは役者の方たちで次々と新しい取り組みがされている。

 

平田 あのー、よく誤解されるんですけど、私たちアーティストはボヘミアンなので、どこで暮らしてもいいんですね。別に外国でも構わなくて。そもそもなぜ豊岡に劇団が移転することになったかというと、もちろん僕が仕事をしていたということもあるんですが、倉庫を移転したんです。豊岡に原という駅があるんですが、JRの特急が停まって、駅から歩いて高速のインターチェンジまで行けるという珍しい場所です。

 

そこに倉庫をお借りしました。私たちは国内外どこででも公演をするので、物流拠点の倉庫はどこにあっても同じなので、それが都合がよかったんですね。そうしたら街の方がすごく歓迎してくださって、「うちの倉庫も使ってください」と何名も申し出てくれました。米倉とか酒蔵とか、場所があるので「じゃあここを劇場にしましょう」と移転の話になったんですけど、私たちはどこにいてもいいんですね。

 

大切なのは、私たちが移住したりアーティストが暮らしたり、城崎国際芸術センターというアーティストインレジデンスがあることによって、地域の方たちが、地域の文化資源を再発見して、脳みそが活性化することですね。

 

 

活気を取り戻した大阪の寄席「繁昌亭」

 

 

例えば大阪市内に「天満*天神  繁昌亭」という寄席があります。これは天神橋商店街の旦那衆が自分たちで2億円の寄付を集めて、空いていた天満宮の境内の駐車場に、60年ぶりに寄席を復活したんですね。その活動を粋に感じた関西落語協会の桂三枝会長が、「若手の噺家は、難波花月よりも繁昌亭をスケジュールを優先する」と、吉本興業に交渉をしたそうです。

 

すると、テレビに出ている噺家さんたちが、ほんとに近い距離で見られるので大ヒットしました。でもこれは、たった200人の小さな寄席なんですね。だから年間でも入れるのは10数万人です。だけど、寄席が成功したおかげで天神橋商店街はいま、一日の通行量が25千人、年間で1000万人が通る日本で最も活気のある商店街と言われています。

 

端から端まで歩くと万歩賞という賞状がもらえるくらい、ものすごい長い商店街なんですよ。で、毎週末おもしろいイベントをたくさんやっています。例えば、一日丁稚体験とか。これは修学旅行生が前掛けをかけて、店先に立っているだけなんですけど。

 

 

なぜ、こういうイベントをたくさんやっているかというと、寄席が終わった後に噺家さんたちが商店街の居酒屋で飲むようになった。そこに若旦那衆も来て、毎晩のように馬鹿騒ぎをしていると、そこからいろんなアイディアが生まれてきます。そのアイディアを翌月にはイベント化していくんですね。

 

要するにアーティストというのはある種のきっかけとか、刺激剤にすぎない。最終的には地元の方たちの脳みそが活性化しないと、地域っていうのは復活しないので、私たちはどうでもいいんです。どうでもいいというと失礼ですけど、別に町おこしのためにアートをしているわけではないという。

 

ここでまた兵庫県豊岡市の話に戻りますけれど、まず中貝さんの口癖は、「東京基準で考えないで、世界基準で考える」です。なのでアートセンターなどのプログラム選定にあたっては、東京で有名なアーティストを呼んでくる必要は全くありません。「世界標準のアーティストを呼んでください」と。

 

すると「これは何を表現しているんだ?」という僕でもわからないコンテンポラリーダンス集団とかも来るんですけど、中貝さんは、豊岡市内にいる場合はほぼ毎回観に行かれるんです。見に行って、次に僕に会った時に、そのステージがいかにわからなかったかを説明してくれる。

 

(会場、笑い)

 

「いやぁ、わからなかったねぇ」「こないだの公演、30分間指先だけ動かしているんですよ」みたいな。でも、彼はアートの本質みたいなものが非常によくわかっていて、自分はわからないけれど、何かしら子どもたちとか若者には伝わるだろうと。実際に、大人のわからないコンテンポラリーダンスとかを子どもたちが観ると、すごい喜ぶんですよ。

 

神山 要するに豊岡の子どもたちは、必ずその公演を観られる。

 

平田 タダですから。しかも超一流のダンサーとかをタダで観られる。全然関係ないんですけど、面白い話があって。全裸のダンス集団がカナダにあって、ほんとうに全裸のステージなので世界的にはすごく有名なんですけど、日本では法律上できないんです。でもダンスのプロデューサーたちはそのカンパニーをみんな呼びたかったんです。だけど、全裸だから無理だろうという話になって。その集団が、うちのアートセンターに申し込んできたんですよ。それで、「どうしようどうしよう」と言った時に市長が一言、「外湯でやればいいんじゃないの」って。

 

(会場、笑い)

 

そのあとね、結局作ろうとした演目は全裸じゃなかったの。ただし、上半身は裸だったんですよ。そしたら市の担当者が「どうしますか?」「やっぱり子どもも見に来るので」といって、衣服を身につけて公演したんです。市長が話を聞いて、その担当者に激怒されたそうですよ。「アーティストにそんなことを言うもんじゃない」と。世界最高峰の表現をそのままやるのがアートセンターのミッションなので。

 

 

18歳までに「文化の自己決定能力」を身につける

 

 

神山 要するに中貝さんが言っているのは、「憧れだけで子どもを東京には出さない。豊岡で世界最高レベルを見ているんだから、行くならニューヨークやパリへ行け」と。

 

平田 そうですね。東京標準では考えず世界標準で考える。豊岡はいま、短大が一つあるだけなので18歳になった子どもたちの7割は市外に出ざるを得ないんです。その時に「なんとなく東京や大阪に行くのではなくて、18歳の時点で志を持ってニューヨークやパリへ行くならいくらでも豊岡は応援する」と。しかし、都心部へなんとなく行って、なんとなくその場所に定着されるのは困る。

 

これを僕たちは「文化の自己決定能力」と呼んでいます。その自己決定能力を、豊岡の場合は18歳までに身につけなくてはならないんです。22歳じゃなくて18歳がタイムリミット。そのために、自分で選択できるだけのセンスを18歳までに育てようというのが豊岡の教育方針です。

 

東京標準ではなくて世界標準のものを見せ続けることによって、自分で住む街を選べる人材を育成しよう。そして豊岡市としては、選ばれる街を作ろうと。だからこれは、車の両輪なんですね。

 

まちづくりと子どもたちの自己決定能力、その両方を育てなければならない。どんなにいい街をつくっても、自己決定能力が低ければ、偏差値とか市場価格とか、結局は他人が決めた評価軸でみんな東京に吸い寄せられるようになっちゃうんですね。だから自己決定能力をつけないといけない。ただ、自己決定能力をつけても、その街自体が住みたい街でなければ、自己決定能力が高い子ほど戻ってはこないので、これを車の両輪としてやって行こうというのが豊岡の基本的な方針ですね。

 

写真提供:豊岡市フォトライブラリー

 

◆登壇者プロフィール

 

平田オリザ  劇作家・演出家・青年団主宰。こまばアゴラ劇場芸術総監督・城崎国際アートセンター芸術監督。1962年東京生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。1995年『東京ノート』で第39回岸田國士戯曲賞受賞。1998年『月の岬』で第5回読売演劇大賞優秀演出家賞、最優秀作品賞受賞。2002年『上野動物園再々々襲撃』(脚本・構成・演出)で第9回読売演劇大賞優秀作品賞受賞。2002年『芸術立国論』(集英社新書)で、AICT評論家賞受賞。2003年『その河をこえて、五月』(2002年日韓国民交流記念事業)で、第2回朝日舞台芸術賞グランプリ受賞。2006年モンブラン国際文化賞受賞。2011年フランス国文化省より芸術文化勲章シュヴァリエ受勲。大阪大学COデザインセンター特任教授、東京藝術大学COI研究推進機構特任教授、四国学院大学客員教授・学長特別補佐、京都文教大学客員教授、(公財)舞台芸術財団演劇人会議理事長、埼玉県富士見市民文化会館キラリ☆ふじみマネージャー、日本演劇学会理事、(財)地域創造理事、豊岡市文化政策担当参与、岡山県奈義町教育・文化の町づくり監。

 

 

神山典士 ノンフィクション作家。株式会社バザール及び、東京塾を主宰。1960年生まれ。信州大学人文学部心理学科卒業。TV雑誌記者を経て1987年よりフリーランス・ライターとなり、1990年、株式会社バザールを設立。1996年『ライオンの夢、コンデ・コマ=前田光世伝』にて小学館ノンフィクション賞優秀賞受賞(現在は『不敗の格闘王、前田光世伝』〈祥伝社黄金文庫〉。2011年『ピアノはともだち、奇跡のピアニスト辻井信行の秘密』〈青い鳥文庫〉が全国読書感想文コンクール課題図書選定。2014年「佐村河内事件報道」により、第45回大宅壮一ノンフィクション賞、日本ジャーナリズム大賞受賞。20187、長野県小布施町・東京都墨田区と組んで『知られざる北斎』上梓。

 

次回【パネルディスカッション ②「地域で生きる、地方ではたらく」3/3 小布施町と北斎へ続きます

 

 

メインビジュアル:豊岡市フォトライブラリー

テキスト編集:中條美咲

写真:さんち編集部

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