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パネルディスカッション ②「地域で生きる、地方ではたらく」3/3

小布施町と北斎

 

神山典士(以下、神山) それではこの辺で、話題を小布施に変えていきます。ここまでのオリザさんからのお話をひっくるめて言えば、住民のセンス、首長のセンス、何を「たから」と思って掘り続けるかということだと思うんですが、僕が今日皆さんにお話したかったのは、長野県の小布施町の取り組みです。

 

◆前回までのお話はこちら
パネルディスカッション ②「地域で生きる、地方ではたらく」1/3
 パネルディスカッション ②「地域で生きる、地方ではたらく」2/3

 

写真左から:神山典士氏・平田オリザ氏

 

ここは去年、ロンドンの大英博物館で「大北斎展」というのが開かれたんですけども、大英博物館で開くというのは、世界の美術界の頂点を意味します。日本のアーティストが個人名で取り上げられるというのは、北斎が一人目か二人目だと思います。

 

この5年間を見ると、パリもロンドンもボストンもローマもフィレンツェも、世界中で北斎展をやっている。大北斎ブームです。そのロンドンの美術展に、北斎の描いた小布施の祭り屋台の天井絵が2点招かれました。

 

写真提供:長野県観光機構

 

今までも小布施町は40年前にできた「北斎館」というテーマ館に多くの観光客を呼び、まちづくりの中心を作ってきたんだけれども、これからの50100年も、北斎でこの街は生きていきたい。そのためにどうしたらいいかということで、小布施町の町長は市村良三さんというんですが、これを機会に小布施と北斎の物語というのを世界発信しよう。あるいは、町内の若い世代にも小布施と北斎がどういう関係があるかということを改めて知らしめようということで、以前、僕が取材で訪ねた際に「神山くん、北斎のことを書いてみないか」と言ってくださって、僕も「ぜひ、書かせてください」ということで、ここ2年間北斎をテーマに国内外取材を続けてきました。そしてこの夏に、幻冬舎というところから『知られざる北斎』と題した本を出版することになりました。(2018年7月上梓)

 

小布施の町長が英断なのは、人口1万人の街ですから、だいたい3000戸の家があるんですが、全世帯に一冊ずつ町費でこの本を配布してくれるというんです。40年前には「北斎館」を作り、街は盛り上がってきたんだけれど、ここでもう一回、なぜ北斎は江戸時代末期に小布施に4回も来て、なぜこれほどの天井絵を描いて行ったのかという物語を、町民とともにシェアをしよう。それをまた英訳、あるいはフランス語訳して世界にも出版しよう。というプロジェクトをいま、やっているところです。

 

豊岡にとっては、城崎の文化・コンテンポラリーアートというのが、一つのたからもの。で、それをくり返しくり返し掘り続ける。小布施には北斎というたからものが江戸時代末期から続いています。ただ調べてみると、小布施の人はこの間ずっと、北斎を崇めていたわけではないんですね。例えば、フェノロサという美術史家が明治時代にアメリカからやってきて、「日本の文化、特に浮世絵なんていうのは、カレンダーの絵みたいなものだ。もっと、将軍に守られた狩野派とか琳派の方がすごいんだよ」と言って、浮世絵の評価がすごく下がった時代があります。北斎の絵が100200円で買えた時代もどうやらあったんですね。

 

小布施でも、北斎の絵があるということは早くからわかっていたんだけど、天井絵の下で子どもが合宿をやったりだとか、戦争中の児童の宿泊場所として、絵の下の本堂が使われちゃったりだとか。決してずっと守られてきたわけではないんだけれど、今から40年前、4代前の町長が「イヤイヤ、北斎というのはすごい!これからのまちづくりでは北斎をテーマにしよう!」と言って、1976年、人口1万人の小さな町が「北斎館」という美術館をつくった。

 

そこから観光客が徐々に徐々に増え始めて、いま人口1万人の小布施に120万人の観光客が来ています。これは北斎だけじゃなくて、栗菓子も美味しい、ワインやお酒もある、風景もいいなど色々理由はあるんですが、驚くことに温泉はないんです。旅館もないんです。小布施には温泉街がないんです。だから観光客は、バスでやって来て、昼間は北斎館を見学し、岩松院という天井絵があるお寺を見学し、栗菓子のケーキを食べ、栗おこわというご飯を食べ、お金を落とすだけ落として栗のお菓子を買って帰っていく。

 

これからの観光に求められるのは、ストーリー性

 

小布施町のコンセプトは、「結果観光」っていうんですね。つまり普通の観光っていうのは、例えば城崎だったら、「温泉に入りたい」「コンテンポラリーアートを見たい」など、目的ありきで訪れる目的観光。小布施の場合は結果観光。これはどういうことかというと、街の人が豊かに暮らして、美しく暮らす。その結果、小布施の暮らしを見に観光客がやってくるというストーリーを作ろうということで、小布施町は優等生的な取り組み例と言えます。

 

写真提供:長野県観光機構

 

平田オリザ(以下、平田) いま、観光協会でもそのことが相当言われ始めています。要するにインバウンド観光というと、他所からワッと人が来てお金を落としていくというイメージだと思うんですね。しかも、国際的なリゾートというのは、基本的にその地域に暮らしている人たちの生活を見に来ているわけですよね。例えば、スイスのツェルマットなんかは典型ですけど、自動車は入れないわけですね。要するにそこで暮らす人、私たちが思い浮かべるスイスの典型的な生活がそこにあって、そこに世界中から観光客が来る。生活に根ざしていないと、いまの観光は無理なんです。何か目玉商品があるから、それを目指して来るということはもうないわけです。

 

バブルの時代からしばらくの間、ゴッホの絵が20億ですとか、「この作品を一個置けばたくさんの人が来ますよ」ということをたくさんの自治体がやっていた。絵画の市場価格に惑わされて、それで人が来ると思っていた。一時期は観光客も来るんだけれど、それでは全く意味がない。ゴッホの絵もゴーギャンの絵もその地域とは全く関係ない絵画ですから、関連性のないものには人々の足は向かわないですよね。そこで、先ほどの城崎温泉なんかは、江戸時代からアーティストインレジデンスをやっていた。で、それを21世紀型に変えていこうみたいな、ある種のストーリー性がないとこれからの観光っていうのは成り立たない。

 

神山 本当にそうですよね。去年僕は北斎の取材で、フランスやローマに行ったんですよ。日本国内では、北斎はもう書き尽くされているんですよ。研究家の人からみれば、僕なんて素人ですから。これは、パリのジャパンエキスポというアニメの大会ですね。

 

写真提供:神山氏

 

ここに行ったときに、僕はたまたま浴衣を着て行ったんだけど、フランス人の女の子に「それはなんのコスプレ?」と言われたんですよ。「コスプレじゃないよ」と言ったんですけど、150年前のジャポニスムの熱狂というのは今日、漫画やアニメ、サブカルチャーとしてヨーロッパに浸透している。こうした熱狂が150年前のパリにもあったんです。その主人公が北斎であり、歌麿や広重であった。

 

今から150年前にパリで活躍した美術商に林忠正*1という人がいますが、普通は知らないですよね。僕も知らなかったんですけど、オルセー美術館の中にこの人のマスクが鎮座していて、左が昆虫学者のファーブルで、右がバルザック、奥にあるのがロダンなんですよ。林忠正は、それらの人物と同じくらい評価をされているということですね。さっき言った「ジャポニスム」という日本美術ブームが起きた時に、彼は美術商として16万枚くらいの浮世絵を日本からヨーロッパに送り込んで売りさばいたと言われています。北斎の大きな波の絵「グレイトウェーブ」が欧米では、モナリザに匹敵するくらい認知度が高いといまでは言われています。
*1)林忠正(はやし ただまさ):1853年–1906年。明治時代に活躍した日本の美術商。1878年に渡仏。19世紀末のパリに拠点を置き、オランダ、ベルギー、ドイツ、イギリス、アメリカ、中国などを巡って日本美術品を売り捌く。当時、浮世絵からヒントを得て、印象派の画家たちと親交を結び、日本に初めて印象派の作品を紹介した。

 

富獄三十六景

 

なので北斎というのは、日本よりも世界の方が評価が高い。例えば、自然の描写をみても、北斎と印象派*2は視点が違います。北斎は水面に近いところから上を見上げて波を描いている。印象派の彼らは上からの視点しか描けない。なぜかというと、彼らは写実だから書き手が安全なところからしかスケッチできないんです。でも北斎は写実じゃなくて、行ったことがないところでも行ったことがあるような描き方ができたので、ものすごいローアングルから見上げている。こいつは一体どういうところにキャンバスを置いて描いているのかというのが当時の印象派の彼らには不思議だった。そういう点からも「北斎はすごい!」という評価につながった。
*2)印象派(印象主義):19世紀後半のフランスに発した絵画を中心とした芸術運動。形態の明確な描写よりも、それを包む光の変化や空気感など一瞬の印象を捉え、再現しようとする様式。エドゥアール・マネ、クロード・モネらによって創設された。

 

それからもう一つ。西洋の絵画というのは、北斎が行ったときにはまだ印象派が印象派という名前をもらっていません。モネもゴッホもシスレーもマネもみんな売れてない。だけれども、美術界には「サロン」という16世紀頃から続いている古い宗教画の価値観が頭上を覆っていて、テーマとして描くのはまず神様。それからエンジェルやキリスト。次に描いていいのが人間で、その人間もすごく立派な筋骨隆々とした若者であるとかビーナスであるとか、そういう人は描いていい。

 

そういう時代に遠く離れたジャポンという国では、波がテーマだ!ありえない!神様でもなければ人間でもなくて波なんかをテーマにしていいのか?!というのがヨーロッパにとっての浮世絵の衝撃でした。それが人気につながった。ですから、日本よりもヨーロッパの方が北斎の評価は高い。その事実を小布施の町長は、自分たちが持っている肉筆画の北斎というのは「こんなにすごいアーティストなんだよ」というところを小布施の子どもたちにも伝えたいという、今回のプロジェクトなんですね。

 

ということで、豊岡を中心とした地域の取り組みと、後半に少し、小布施町のお話をさせていただきました。ここに集まっていらっしゃる方は工芸関係、いわゆるアルチザンの方だと思うんですが、この方たちが地域おこし、地域発展のリーダーになる可能性についてオリザさんは何か思いますか?

 

平田 基本的に工芸というのは、豊岡の鞄の場合も急に鞄になったわけではなくて、柳行李という素材から始まって、それが鞄産業の基盤になっていますよね。いずれにしても作るものが地域の伝統に根ざしつつ、時代に合わせて刷新していく。中貝市長はよく、「豊岡というのは再生の街なんだ」と言います。城崎温泉は、関東大震災の数年後に北大震災という地震が起こって街一帯が壊滅状態になるんですね。これを兵庫県側は全部鉄筋コンクリートにしようと言ったんだけれども、城崎温泉側が反対をしたそうです。

 

「防火帯をちゃんと作るから、木造3階建をもう一回再生するんだ」ということで、旅館自体は江戸時代からの創業200300年という旅館があるけれど、それらの多くは約90年前に再生したもの。復元してきたんですよ。そこに一つポイントがあって、再生させていって、リニューアルしていくことで現代性を持たせるというのがポイントかなって僕は思いますね。

 

観光とは、忘れていたものに光を当てて再生させること

 

神山 いまちょうど、佐藤繊維の佐藤社長のお顔が見えていて、以前、山形芸術祭の取材に行った時にものすごくかっこいい服がありまして、アート作品として服が展示されていました。それが佐藤さんの洋服だと聞いたので寒河江まで行ったらば、古い紡績工場を移築してアパレルのブティックとそれからレストランなどを複合した施設を作られていた。それが街の魅力にもなっているなぁと思いました。そういったかたちでどこに鉱脈を見つけて、俺たちの街はこれでいいんだという自己肯定感を持って掘り続けるか。

 

山形県寒河江市、佐藤繊維本社に併設されるアパレルショップ

 

平田 そうですね。アートとの関係で言いますと、「観光」の語源は国の光を見るという中国の古典から来ているんですけれど、しかし自分で発光する物質というのは世の中にはほとんどなくて、誰かが光を当てないと物質というのは見えないんですよね。そこで、光を当てるのがアーティストの役割だと思っているんです。だから、新しい発想で地域の人が気がつかなったり、忘れていたものに光を当てて再生させるとそれが観光に結びつくということなんだと思います。その役割はアーティストだけではなくて、よそ者であったり、今までは仕事をしていなかった女性の発想であったり、障害を持った方の発想であったりだとか。

 

そういう方たちの発想というのが、新しい光をもたらして、それがこれからの観光に結びついていくのではないでしょうか。そこに若い人たちが集まって来て、これはもっとこういう可能性があるのではないか?という物語を発見できた時に、一挙に街が変わっていくというのがこれまで全国で成功している事例です。

 

神山 さっきオリザさんとも話したんですが、フランスだとミュシュラン三ツ星のシェフの方が、その街の首長よりも偉かったりするんですよね。シェフの方が、その街のビジョンを50年後100年後まで考えてレストランを経営しているというケースがよくあります。人口200人しかいない村に厨房とサービスで50人が働いているという三ツ星レストランがあって、3年先まで予約が埋まっていて、お客さんは世界中からやってくる。

 

そしてその村に暮らす200人の村民たちは、食材を作ってこのレストランに採用されるということが最高の誇りであり、最高のプライドであり、この街にとっての最高のPRだということがわかっている。そういう好循環というのは、アルチザンの方たちにも可能だと思いますし、こうしたリーダーがたくさん現れてくれたら、生産地というのも一緒に成長していけるというような気がします。今日は豊岡とそれから小布施の話が中心となりましたけれど、それではこの辺で終わらせてもらおうと思います。どうもありがとうございました。(完)

 

 

◆登壇者プロフィール

 

平田オリザ  劇作家・演出家・青年団主宰。こまばアゴラ劇場芸術総監督・城崎国際アートセンター芸術監督。1962年東京生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。1995年『東京ノート』で第39回岸田國士戯曲賞受賞。1998年『月の岬』で第5回読売演劇大賞優秀演出家賞、最優秀作品賞受賞。2002年『上野動物園再々々襲撃』(脚本・構成・演出)で第9回読売演劇大賞優秀作品賞受賞。2002年『芸術立国論』(集英社新書)で、AICT評論家賞受賞。2003年『その河をこえて、五月』(2002年日韓国民交流記念事業)で、第2回朝日舞台芸術賞グランプリ受賞。2006年モンブラン国際文化賞受賞。2011年フランス国文化省より芸術文化勲章シュヴァリエ受勲。大阪大学COデザインセンター特任教授、東京藝術大学COI研究推進機構特任教授、四国学院大学客員教授・学長特別補佐、京都文教大学客員教授、(公財)舞台芸術財団演劇人会議理事長、埼玉県富士見市民文化会館キラリ☆ふじみマネージャー、日本演劇学会理事、(財)地域創造理事、豊岡市文化政策担当参与、岡山県奈義町教育・文化の町づくり監。

 

 

神山典士 ノンフィクション作家。株式会社バザール及び、東京塾を主宰。1960年生まれ。信州大学人文学部心理学科卒業。TV雑誌記者を経て1987年よりフリーランス・ライターとなり、1990年、株式会社バザールを設立。1996年『ライオンの夢、コンデ・コマ=前田光世伝』にて小学館ノンフィクション賞優秀賞受賞(現在は『不敗の格闘王、前田光世伝』〈祥伝社黄金文庫〉。2011年『ピアノはともだち、奇跡のピアニスト辻井信行の秘密』〈青い鳥文庫〉が全国読書感想文コンクール課題図書選定。2014年「佐村河内事件報道」により、第45回大宅壮一ノンフィクション賞、日本ジャーナリズム大賞受賞。20187、長野県小布施町・東京都墨田区と組んで『知られざる北斎』上梓。

 

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メインビジュアル:長野県観光機構

テキスト編集:中條美咲

写真:さんち編集部

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