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【第2回レポート】パネルディスカッション① 「工芸と工業の次」哲学者・鞍田崇 1 /6

 

産地とは、「物」が生まれて育まれる場所

 

モデレーター・鞍田  トップバッターとして、まずは私の方から「工芸と工業の次」というテーマについて、趣旨説明を行いたいと思います。その後、赤木明登さん、中川政七さんという順番で、それぞれのご活動このテーマに関するご意見を伺い、その上でディスカッションという流れで進めていきたいと思います。

 

 

写真左から:赤木明登さん・中川政七さん・鞍田崇さん

左から:赤木明登氏・中川政七氏・鞍田崇氏

 

 

 

先ほど、飛騨産業株式会社の岡田社長より「職人学舎」というお話がありました。それを受けて、そもそも「学校」ってなんだろうなということから、僕お話を始めます。

 

 

鞍田崇(くらたたかし)哲学者。1970年兵庫県生まれ京都大学文学部哲学科卒業、同大学院人間・環境学研究科修了。博士(人間・環境学)。専門は哲学・環境人文学。総合地球環境学研究所(地球研)を経て、2014年より、明治大学理工学部准教授。近 年は、ローカルスタンダードとインティマシーという視点から、工芸・建築・デザイン・農業・民俗など様々なジャンルを手がかりとして、現代社会の思想状況を問う。著作に『BETWEEN THE LIGHT AND DARKNESS 光と闇のはざまに』(共著、Book B 2017)、『フードスケープ 私たちは食べものでできている』(共著、アノニマ・スタジオ 2016)、『知らない町の、家族に還る。』(共著、兵庫県丹波県民局 2016)『民藝のインティマシー 「いとおしさ」をデザインする』(明治大学出版会 2015)など。民藝「案内人」としてNHK-Eテレ「趣味どきっ!私の好きな民藝」に出演(2018年放送)。http://takashikurata.com/

 

スコレー。囚われから離れた「学びの場」

 

と言いますのも、いま我々が集まる「カンファレンス」というこの場も、言ってみれば「学校」ではないかと思うからです。日常的にはみなさんそれぞれに仕事があり、日々の業務の中で一生懸命働いていらっしゃる。そうした背景を持ちながらも、ちょっと頭をリセットして意見交換をしたり、次に生かしていくための色んな知恵とかアイディアを得ようという場。それがこのカンファレンスなのですから

 

 

ところで、「学校」を意味する英語「スクール(school)」の語源は「スコレー(schole)」という古代ギリシャ語なのでが、これはもともと「閑暇(ひま)」意味した言葉なんですね。要は「時間がある」と。

 

でも、ただそれだけでなく、あくせく働いているだと「こんなことを考えている余裕がない」と素通りされる事柄について、あえて日々の仕事から離れ考える時間のこと。チョット俯瞰してみる感じでもあるでしょうし、さらに進んで、「利潤を上げよう」とか、「注目を集めてやろう」といった、ふだん心を占めている個人的な利害関心から離れて客観的に考えてみることでもありますそういう意味では、囚われのない「自由」な精神状態でもあって、「余白」が保たれた心のありようとも言えるでしょう。

 

囚われから敢えて身を離し、心の余白を保つことで、普段は気がつかない「問い」を発見し、そこから新たな気づきを得たりする。「学校」というのは本来そういう場を意味しました

 

ですので今日はぜひしばしの間、日常の利害関心からは離れてみてください。心に余白を設けて、客観的・大局的・長期的に、囚われから離れた自由な感じで「工芸と工業の次」について考えてみましょう。わずかな時間ではありますが、そんな雰囲気を分かちあう場になればと思ってます。

 

 

いま問われている、「次」とはなにか

 

さて、「工芸と工場の次」という本日のタイトルですが、一番大事なのは、「次」というところでしょう。この「次」には、一体どういう意味が込められている考えられる。それについて、四ばかり簡単に整理してみます。

 

 

1. 時系列から見た「次」

歴史を遡ると、近代化される以前の「手仕事」にベースを置いた「工芸」がまずありました。そこに産業化・機械化された「工業」が台頭してきて、世の中全体が、一気にウワーッと近代化される動きが続いてきたわけですね。ここまでがザッと20世紀。ところが当然、時代はすでに21世紀である訳で、20世紀と同じことをやっていてもしょうがない。時系列的に20世紀の「次」を考えなければならないという視点が、一つ目の「次」です。

 

2. 物づくりと社会の関係から見た「次」

そうは言うものの、日本の物づくりについていえば、停滞して久しい。社会全体の流れとして見た場合、日本は1990年代には工業化終え、「ポスト工業化社会」というステージにっています簡単にいえば製造・生産ではなく、消費を基軸とす社会、消費経済活動の中心になった社会です。

 

でも、そうしたステージもすでに30年が経とうとしています。このままずっとポスト工業化なんでしょうか?そろそろポスト工業化社会の「ポスト」へと移行すべき時期なんじゃないでしょうかつまり、いま問われているのはポスト工業化の「次の社会像ではないかと思うんです。物づくりから撤退したポスト工業化社会の「次」をそろそろ考えなきゃいけない。それってなにかと考えると、ふたたび物づくりを軸とする社会ではないか。そこを考えましょうというのが、二つ目の「次」です。

 

3.物づくりのカタチから見た「次」

では、ふたたび取り組まれる物づくりのあり方ってどういうものなのでしょうか 工業化、さらにポスト工業化20世紀の中で見失われてしまったものはなんだったのか。先ほど飛騨職人学舎で学ぶたちから、「手加工」への憧れが繰り返し口にされたように、ここへきて、工芸ならではの丁寧な物づくりの評価が高まっている。それは工業の現場でもそうだと思います。他方で、工業以上に深刻な工芸業界の状況を鑑みたときに、流通やブランディング等の再検討を進めるとともに、工業の要素や視点を取り組む形で、近代化・合理化・効率化を図ることが求められている。まとめていえば、工芸と工業のハイブリット。これが、これからの物づくりのカタチであり、三つ目の「次」です。

 

4. 「工芸」から見た「次」

このことは見ようによっては、新たな工芸の在り方が問われているということでもあるでしょう。このカンファレンスの主催工業ではなく、工芸を掲げる日本工芸産地協会」です。そもそも果たして「工芸」に足りないのは、工業的な視点だけなのでしょうか? いまなぜあんなに、若い子たち「手加工」と熱く語るでしょうか。別に単純に昔の工芸に戻ろうということではないでしょう。とすると、「いまこの時代だからこそ、問われている工芸性ってなんなの?」ということをもう一回真摯に考える必要があるんじゃないか。

 

もしかしたら、工業化・ポスト工業化のただ中で、工芸自身が見落として自らの「本質」を再発見することが求められているのかもしれない。そういった点を踏まえつつ、「工芸」と「工業」の次だからこその「工芸」。かつての工芸に戻るのではなくて、いまだからこその「工芸」ってどういうものか?ということを最終的には考えてみたいというのが四つ目の「次」です。

 

まとめるとこういう四つ。

 

1.時系列から見た「次」—21世紀は、20世紀の「次」を考えなければならないのでは?

2. 物づくりと社会の関係から見た「次」ふたたび物づくりをする社会

3.物づくりのカタチから見た「次」「工芸」と「工業」のハイブリッド

4.「工芸」から見た「次」「工芸」と「工業」の次だからこその工芸

 

このような視点、問いかけから「工芸と工業の次」について3人で揉んでいきたいのですが、あともう少し、僕の方から関連するお話をいくつかご紹介させていただきます。

 

 

「無数の小さな矢印の時代」としての21世紀

 

素材提供:CAt (C+A tokyo)

提供:CAt (C+A tokyo)

 

まず21世紀をどうとらえるかについて。ちら、一昨年急逝された建築家の小嶋 一浩*1さん、最初で最後の書下ろし著作となった小さな矢印の群れ』という本の巻頭掲げられたです。ここには、21世紀社会イメージ端的に示されているように思われます。

*1)小嶋 一浩(こじま かずひろ):1958年大阪府生まれ。東京大学大学院博士課程在学中〈シーラカンス〉を設立。CAt(シーラカンスアンドアソシエイツ トウキョウ)に改組し、パートナーを務める。2005年〜11年東京理科大学、11年より横浜国立大学建築都市スクール(Y-GSA)で教授を務めた。食道がんにより20161013日逝去

 

20世紀は、爆発的に増える人口に対応するべく、政治も経済も、教育も産業も、効率性が重視され、均一化・画一化を基調とした時代でした。こうした時代状況を、小嶋さん、「一つの大きな矢印の時代」と言い、それに対して「21世紀は、無数の小さな矢印たちの蠢きに応答していくような時代じゃないか」と言いますたとえば、建築を例に取ると、音、光など、時々刻々とうつろい変化し流れているものを一義的に制御しようとするのではなく、それらに身を委ねるような空間を志向する感じです

 

人口減少期を迎えるこれからの日本社会において、この「無数の小さな矢印」というイメージはあるべき社会像のモデルとなるのではないでしょうか。小さな矢印は、地域であり、個人であり、またそれぞれの産地であるとも言えるでしょう。それらを一つの大きな矢印に束ねるのではなく、小さな矢印が小さいままに活躍する環境を整える。そういうことが、ますます求められるようになるのではないでしょうか。

 

 

「仕事」としての工芸、「労働」としての工業

 

では、そういう時代に物づくり、分けても工芸はどうふるまうのか。

 

この点を掘り下げるにあたり、政治哲学者ハンナ・アレント*2が著書『人間の条件』で展開した議論が参考になるかもしれません。古代ギリシャに遡りつつ、彼女は、人間ならではの働き方を「労働(labor)」と「仕事 work)」、そして「活動(action)」の三つに分けて考えています。工芸が関わるのは、ひとまず、このうち「労働」と「仕事」です

*2)ハンナ・アレントHannah Arendt、1906- 1975年:米国の政治思想家・哲学者。ドイツ生まれのユダヤ人。ハイデルベルク大学でヤスパースとハイデッガーに師事。’33年ナチス政権成立後、パリに亡命。’41年に米国に亡命し、シカゴ大学教授を歴任。ナチズム、スターリニズムなどの全体主義国家の歴史的位置と意味の分析をし、現代社会の精神的危機を考察。著書に『全体主義の起源』(’51年)、『人間の条件』(’58年)、『イェルサレムのアイヒマン』(’69年)など

 

人間とはいえ生き物ですから、食べなきゃいけない。そういう自然のいとなみに即した切実な欲求を満たすのが労働です。でも、僕ら人間は食べるだけでは満足できないんですよね。べるためだけではなく、文化的なものとか、精神的な豊かさを追求し、自然にはないものを人為的人工的に作り出す。が仕事です。これらは、労働と仕事が、それぞれ人間が人間であるための異なる条件呼応することから生じるものでもあります。すなわち、労働は「自然」という条件に、仕事は「社会」という条件に呼応しています。ちなみに、もうひとつの活動は他者と代替不可能な「個人」という条件に呼応するものなのですが、これについては今日は略します。

 

労働と仕事は、産物の扱われ方にも違いがあります。労働の産物は消費」されます。どんなに手をかけて作った食事も、あっという間に食べ尽くされるように、消費は、消費する者の生存を利することだけを意味しますそれに対し、仕事の産物は使用」されます。しかも、建物や家具がそうであるように、世代を超えて使われ続ける。それはまた、自分が所属する社会や共同体が、自分が生まれる前からあったし死んだ後もあるだろうという信頼の根拠を具体的に示してくれるものでもあります。そうして、「工芸」は、もともとこうした仕事の所産でした。その担い手たる職人のいとなみは労働ではなく仕事だったのです。

 

ところが、近代という時代は、この二つをひっくり返しちゃったんですね。といいますか、すべて労働にしてしまった。台頭してきたのは、いうまでもなく「工業」です。結果、本来世代を超えて使用され、社会の持続性を支えるものでもあったはずの産物が、すべて消費の対象になってしまった。家具も、器も、建物だってそうです。みんな消費されていく世の中になってしまった。

 

 

 

工芸と工業の次を示唆する「民藝」視点

 

以上は、アレントの議論をかなりザックリとまとめたものです。時代の流れとしてはおおむねこれでいいでしょう。そういう中で、近代になってなおも、消費ではなく、使用されるものを目指す工芸、仕事としての工芸を維持しようとする動きも出てきた。いわゆる伝統工芸や美術工芸はそういう動きの結果と言ってもいいかもしれません。ただ、工芸のありようについては、また別の可能性を追究する動きもありました。それが「民藝」*3です

*3)民藝:1926(大正15)年に柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らによって提唱された生活文化運動から生まれた言葉。柳らは、名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具を「民藝(民衆的工芸)」と名付けた

 

民藝が注目した工芸もまた、単に消費されるものではなくて、世代を超えて使用に耐え得るものです。そういう意味では社会の持続性を担うものでもありますが、同時に自然のいとな深く接続したものでもありました。それゆえ、もともと仕事ではなく労働の所産としての工芸でした。生きていくのに懸命な、貧しく、名もなき者たちのいとなでした

 

こうした民藝の視点は、ただ古い時代を顧みたものではなく、近代という時代と向き合ったからこそ導き出されたものでした。先のアレントの図式を踏まえていえば、それは、消費物しか生み出さない労働ではなく、使用物を生み出す労働の可能性を問うものであり、社会という条件に応じるだけでなく、自然との結びつきの中でこそ営まれる仕事の可能性を問うものでもありました。いうならば、労働と仕事のハイブリッド。やや強引かもしれませんが、ここに工芸と工業の次としての工芸性のヒントが潜んでいるようにも思うのです。

 

そうした点は、「民藝」求めたつくること」に端的に示されています。最後に、それを示唆する民藝運動の担い手たちの言葉をご紹介して、僕の話を締めくくりたいと思います。

 

陶芸家の河井次郎*4は、民藝運動の第一世代として活躍された人です。彼の言葉に「暮しが仕事、仕事が暮し」というのがあるのですが、これは、「労働が仕事、仕事が労働」意味する言葉とも言えそうです。彼は、近代において決定的に分断されてしまったこの二つを繋ぐ視点を持っていたのではないかと思うんですね。

*4)河井寛次郎:日本の陶芸家(1890824-19661118日)。島根県安来に生まれる。1921年、「第一回創作陶磁展」を開催、以降生涯にわたり作品を発表。1926年、柳、濱田とともに「日本民芸美術館設立趣意書」を発表し、「民藝運動」に深く関わる。 1937年に、自らの設計により自宅を建築(現在の記念館)。

 

 

そんな次郎は、どういう「つくること」を求めたか。彼がある農村風景を記した文章をご紹介したいと思います。火の誓ひ』というエッセイ集の冒頭に収録されている「部落の総体」という文章です。彼は、昔ながらの佇まいを残した農村を見てすごく感動して、こんなふうに書いています。

 

「どんな農家でも──どんなにみずぼらしくっても──これは真当の住居だという気がする。安心するに足る家だという気がする。喜んで生命を託するに足る気がする。永遠な住居だという気がする。これこそ日本の姿だという気がする。小さいなら小さいままで、大きいなら大きいままで、どれもこれも土地の上に建ったというよりは、土地の中から生え上ったと言いたい。どんな家も遊んでいるような家は一軒もない。」

 

「土地の上に建ったというよりは、土地の中から生え上がった」。このフレーズは、自然のいとなみの一部のような建てられ方、つまりそうしたつくられ方への共感を示すものと言ってよいでしょう。

 

民藝運動のリーダーであった柳宗悦*5も、実は同じようなことを言っていま

*5)柳宗悦(やなぎ むねよし):日本を代表する思想家(1889321 – 196153日)。「そうえつ」の呼び名でも親しまれる。1910年、文芸雑誌『白樺』の創刊に参加。1925年、民衆的工芸品の美を称揚するために「民藝」の新語を作り、民藝運動を本格的に始動。1936年、目黒区駒場に「日本民藝館」を開設し、初代館長に就任。

 

柳は、茶の湯、なかでもいまから400年余り前の侘び茶草創期美意識を、民藝のそれに通じる先駆的なものとして評価していました。当時の茶人たちが選んだ物の中で、「井戸*6呼ばれる茶碗があります。朝鮮由来の茶碗なのですが、その最高れてきた、大名物「喜左衛門井戸」について綴った文章の一節で、彼はこう言うのです──「『井戸』は生れた器であって、作られた器ではない」、と。

* 6)井戸茶碗(いどちゃわん):朝鮮時代に製作された高麗茶碗の1。日本の茶人に大変好まれた茶碗であり、「一井戸 二楽 三唐津」と常に第一に掲げられてきた。中でも随一とされる「喜左衛門井戸」は国宝に指定されている。

 

建ったというよりは、生えた。生まれたのであって、作られたのではない。二人の言葉からは、民藝求めた物づくりのあり方端的にうかがい知ることができます。すなわち、単につくるのではなく、生むように、生まれるようにつくることです。

 

僕はこの部分が、これからの工芸のヒントになるのではない思うのです。ふたたびの物づくり」というのは、もしかしたら単につくることではないんじゃないでしょうか。むしろ「生む」とか「生まれる」、そういう自然のいとなみの要素を持つことが求められてくるのではないでしょうかそれはまた土地地域との結びつきというところにもつながってくる視点ではないかと思うんですね。その土地その土地の自然に即し、それゆえの多様性を秘めた、生むこと、生まれること。それが、21世紀的な小さな矢印としての「つくる」いとなみではないでしょうか。

 

そうして、「産地」のありようもまた、そういう意味で「生む」「生まれる」場所となるべきではないでしょうか20世紀的な「作る」とは違う、21世紀的なつくることとしての「生む」いとなみを育む場のような。それがこれからの産地に求められているのではないか。工芸と工業の次とはそういう機運を目指すものではないか。そんな風に思うのです。

 

長くなりましたが僕からの趣旨説明は以上です。

 

 

パネルディスカッション① 「工芸と工業の次」塗師・赤木明登 2/6 へ続きます。

 

 

スライド提供:鞍田崇

写真:さんち編集部

テキスト編集:中條美咲

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