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【第2回レポート】パネルディスカッション① 「工芸と工業の次」ディスカッション 6/6

自分の手で「つくる」ということ

 

赤木 そう、一昨年くらいに『君の名は。』という映画が流行ったじゃないですか。あれって飛騨高山あたりが舞台のモデルなんですよね。あの映画は、大きな隕石が落下してたくさん人が死ぬという厄災からの救済を描いた映画ですよね。

 

鞍田 うん。

 

赤木 で、そのストーリーに共感した人がたくさんいるのは、我々の背景にそういう大きな厄災大量死が起きるのではないかとか、自分の立ち位置がわからなかった、自分が何者かわからないという大きな不安があってそれを物語としてでも救済したいという心の中の願望を示すものなんじゃないかと思うんですよね。

 

で、僕はそうした願望に、器も答えられるし、パン作りだって答えられるし、家具作りやお米作りだって、それからお医者さんだって、いろんな仕事がそういうことに答えていける時代だと思うんですよね。だからこそ、この高山の山の中に家具を作りに若い子たちが来ているし、輪島にもおを作りに来ている若い子たちがいる。

 

 

前回までのお話はこちら

パネルディスカッション① 「工芸と工業の次」哲学者・鞍田崇 1/6
パネルディスカッション ①「工芸と工業の次」 塗師・赤木明登 2/6
パネルディスカッション ①「工芸と工業の次」中川政七商店 代表取締役会長・中川政七 3/6
パネルディスカッション① 「工芸と工業の次」ディスカッション 4/6
パネルディスカッション① 「工芸と工業の次」ディスカッション 5/6

 

写真提供:飛騨産業株式会社

 

 

鞍田 それらはなぜ答えられると思いますか?

 

赤木 なぜ答えられるかを答えるのは難しいんですけど。やっぱり僕自身がどこかで救われているからだと思います。

 

鞍田 それは、こういうことではないでしょうか。ただ買うだけで済ますのではなくって、自分の手で確実になにか「つくる」っていうか、なにか一つでも物をカタチにできるという実感の持つ力ではないでしょうか

 

赤木 うん。自分の手で「つくる」ということは、自分の存在を確認できるということなんじゃないかと思うんですね。「たしかに生きている」みたいな。そういう感覚っていうのは、とても大切だと思いますけど、どうでしょう。抽象的でしょうか。

 

中川 おっしゃる通りだと思います。関係の人がいたら申し訳ないのですが、悪意はないので許してください。例えば、不動産業はそれに答えられるんですか?

 

赤木 知り合いに、いい不動産屋さんがいますよ(笑)。

 

左から:赤木明登さん・中川政七さん・鞍田崇さん

 

 

中川 そっか(笑)。どんな職業であっても、「いい」不動産屋さんであれば、たしかにそうですね(笑)。

 

赤木 僕はいま産地にいて、バブル直前の時代からいまに到るまで30年間にわたる変貌ぶりを見てきましたかつての活気と誇りにあふれていた産地が、急速に衰退してきたわけですね。そこには、倒産と廃業と夜逃げと自殺ばっかりが嵐のように吹き荒れている。それを見て感じたのは、人生は無常じゃなくてもう無残としか言いようのないもの。そういう光景を、一方ではずっと見てきたんですよね。で、この流れが止まるのかというと、全然止まりそうにもない中で、やっぱり僕らは物を作り続けなければいけないので、なにかの希望は必要。その希望は夢ではなくて、現実の。

 

だからこそ、中川さんのお仕事の伸び代を見ていても、どこかに希望がある気もするし、僕はやっぱり産地というのは、産地に関わらない人も含めて、日本の物づくりというインフラを支えていると思うんですよね。材料にしろ、道具にしろ。そのインフラ自体がいま消えていこうとしている。それは全体のボリュームが消えているから、そもそも草履を編む人たちの生活がままならなくなっている。

 

なのでその部分、例えば輪島であれば木地*1というのは専門職で、曲げ物なら曲げ物の職人さんがいるわけですけれど、そういう人たちの仕事が成り立つ術をこれからはなんらかの方法で考えていかないと、僕ら自身も仕事が成り立たなくなっていく。そういうことを考えたいなぁと思うんですよね。

*1)木地:漆器を作る過程で、漆を塗る前の地肌のままの器物

 

 

いい人、いい会社、いいビジョンと企業文化を育てたい

 

 

中川 その無残に立ち向かうことを僅かですがやらせてもらっていて、いま赤木さんがおっしゃった「いい不動産屋さんという答えに「なるほどなぁ!」と思いました。やっぱり、「いい何々」でなくちゃいけないんだと。

 

鞍田 たしかにね。

 

中川 で、その「いい何々」ってなんなのかというと、思想とテクニカルなこと、その両方を持ち合わせなければいけないと僕は思うんですね。技能としてできるだけでは足りなくて、そこにはやっぱり、いい思想がなくちゃいけない。その両方を持ち合わせて、初めて「いい何々」になるんだと思うし、それを束ねていくのがビジョンだと僕は思っているんです。ちなみに僕、この3月で社長を辞めたんですよ。僕は「いい会社を作りたいんだ」ということに気づき、いまは会長って言ってますけど、あれは名ばかりで実質辞めたんです。

 

鞍田 ただ作りたいんじゃなくてね。

 

中川 そう。いい会社を作りたい。最初はそんなこと考えていなくて中川政七商店はもともと・商店という感じだったんです。それをちゃんとした会社にしたいなというところから始まり、16年やってきた。一区切りがついて、次に「いい会社を作りたい」と思ったときに、経営者として「いい会社ってなんなんだ?」っていうと、いいビジョンと、いい企業文化があることだと思ったんです。この二つがあれば、いい会社なんだろうなと。でたぶん、いい会社は100年続くんだろうなと思ったんです。だから今後はそれを仕事にしていきたいと思うようになりました。

 

中川政七商店は「日本の工芸を元気にする!」という、いいビジョンはあると思うんですよね。でも、もちろんビジョンだけではなくて実現する力もなくてはいけないし、思想もなきゃいけない。あとは「ビジョンを達成するために手段を選ばん」みたいなことではもちろんないと思うので、いい企業文化を育てていかないといけない。そう考えたときに、「いい企業文化」に関していうと、まぁ僕がいない方が良くなっていくだろうなぁという合理的判断のもと、辞めたんです。

 

  参照:【さんち】300年企業の社長交代。中川政七商店が考えるいい会社ってなんだろう?

 

鞍田 いない方がいいというのは、具体的にどんな理由から?

 

中川 企業文化って、そこを構成する人みんなで作っていくものじゃないですか。でも、僕はある意味、創業者みたいなものなので強いトップなわけですよね。強いトップがいると、うまく回る面もあるけど、そこにいるメンバーの意識としてやっぱり頼ってしまう部分もどうしても出て来てしまう。それでは「みんなで作っていく」という意識が醸成されにくいから抜けた方がいいなぁと思って辞めたんですけど。

 

鞍田 それって、次にちゃんとつないでいく、後進を育てることにもなりますよね。

 

中川 そうですね。

 

 

「次」はちゃんとある

 

 

鞍田 僕が今回、「次」というテーマにこだわりを持ったのも実はそういう意図もありました。仕事柄、日常的に学生さんを相手にするので、とくに若い人たちに向けての「次」を考えることが多いんです。彼らには、これまで誰かがやって来たことを、お手本のようになぞるじゃなく、ちゃんとその「次」があるんだっていうイメージをもって社会と関わってほしいなって思いもあって

 

先ほど赤木さんが仰ってくれたような、一抹の不安が社会に漂っているとしたら、それを払拭するようなビジョン、つまり、この社会はまだまだ新しい可能性に開かれていて、希望はあるんだっていう方向性ですよね。それを、僕たち若い彼らに投げかけていくというか、つないでいく必要があると思っています。よく彼らに言うんです、「これで終わりじゃない。『はちゃんとあるから」って。

 

写真提供:飛騨産業株式会社

 

 

赤木 いま、うちの工房には7人の若い弟子がいます。先ほどの産地の話ですが、僕には一つの構想があって。例えば京都では、もう椀木地を挽ける職人さんが一人しかいないらしいんです。そのうち、京都で木地をけなくなってしまう。まだ輪島では、椀木地をける工房が15くらいあります。なので、京都の作家さんの木地は、僕を通じて輪島でいていたりもしています。鎌倉彫の場合も、鎌倉にはもう木地師さんがいないので、輪島で木地をいて、それを鎌倉へ持って行き、っているんです。

 

現状では、素材に近い仕事ほど職人さんの後継者がいない。そして、輪島の椀木地屋さんも、どんどん高齢化をして、次の担い手がいないところばかりです。いま職人さんが現場で仕事をしているうちに後継者を育てて技術を継承していかないと、あと10数年すれば、急速になくなってしまうと思うんですね。その対策としてはやっぱり、法人化しかないと僕は思っているんです。

 

要するに「株式会社 木地屋」みたいな会社をつくる。社員を雇って、じいちゃん達から技術を習い、ある程度の組織として運営をしながら、全国の漆屋さんの仕事を受けていくというような仕組みです。それができたらまだ残せるんじゃないかなぁと思っていてそれをぜひ、中川さんやってください。

 

中川 はい、できることであれば。ここ23年ではなくて、ほんとうに30年先を見据えたスパンで動かなきゃいけないというのは、まさに僕が「日本工芸産地協会」を作ろうと思ったきっかけでもあります。

 

やっぱり現実的に、細々では続きにくいんですよね。伊勢神宮の式年遷宮が20年に一回なのは、若手・現役バリバリ・親方の三代が毎回ちゃんとそれぞれの役割で携われるからといいます。要はこの三代というのが、技術継承の最小単位なんですね戦後、GHQが式年遷宮を30年に一度にしようとした時に、「30年ごとになったら二代しか関われないからそれは危ない」ということで、20年に落ち着いたという話があるんですね。だからある程度の規模を持つことは、続けるという意味ではすごく意味があると思うので、株式会社化なのかはわからないんですけど、手伝います。

 

赤木 僕もやる気はあるんですが、自分の作ったものを売るのに必死すぎて、経営能力はないですし、よろしくお願いします(笑)。

 

中川 僕、次は教育をテーマに仕事をしていきたいなぁと思っています。こんなことを言ったら元も子もないんですが、結局のところ全部が、最後は人に帰結していくと思うので。いい不動産屋さんというのも人だし、いい漆職人もいれば悪い漆職人もいるかもしれないし。

 

僕は今後、そういうところでやっていきたいなぁと思っています。いまの状況のままいくと、輪島の木地師さんがいなくなったら、同時に何箇所かの工房が潰れるわけですからね。それはなんとしてでも止めたいなぁという思いはあります。

 

 

関係性から生まれる「その人らしい」物づくり

 

 

鞍田 教育のお話が出ましたが、「いい」ということに関して、赤木さんはなにかお考えありますか?

 

赤木 難しい質問ですね。だいたい僕は悪い方ですから(笑)。

 

鞍田 悪い方かもしれませんけど、悪い方からこそ憧れる「いい」のイメージ、なにかお持ちじゃないかなぁと思って(笑)。

 

  (会場 笑い)

 

赤木 この間、金沢のお寿司屋さんで話をしていて。そこでは自然な作り方で作られたお米を使っているのですが、寿司屋の大将曰く、「お米にはいちばん人が出る」って言うんですね。要するに、その人が何を考えて、どういう性格でどんな風に作るのか、すべてがわかってしまう。これまで僕は、お米に作った人の人柄が出るなんて思ってもみなかったです。

 

でも大将が言うように、たぶん、魚を獲る漁師さんよりもお米には人が出ると思うんです。そこが最後は人なんじゃないかなって。寿司屋の大将だってそうじゃないですか。どの素材だって手をかければ、限りなく手をかけることができて、それをどこまでやっていくかという。そこに最後はその人が出て来ると思うんですよね。

 

やっぱり、民藝や工芸と呼ばれるものは、自然という素材とそれを作る工人との関係性の中から物が生まれて来るので、どこまで真摯に目の前の素材と向き合っているか。素材をただの材料として利用するんじゃなくて、素材に対して自分に与えられた「ありがたい」ものとして、素材の声を聞きながら付き合っていく関係性みたいなものも、その物に出て来ると思うんですね。それがこう、感謝の気持ちだとか謙虚であるとか。そういうことができるのが、いい作り手だと思うんです。僕はまだ、できてないんですけど(笑)。

 

鞍田 食に関わるところで、同じような言葉に接したことが僕もあります。出身が兵庫県なんですね。しかも新興住宅地育ちですし、高山みたいに歴史のある街ではなく、自然もそんなに厳しいわけでもなくて、なんだかこう緊張感がなく、ネジ一本抜けたような感じ。全体的に穏やかで、ボヨーンとした凡庸な感じがずっとしてて、若い頃はその凡庸さがすごく嫌いだったんですね。

 

鞍田さんの地元、加古川の風景

 

 

鞍田 とくに京都で哲学を学んでいた頃は、そんな地元の凡庸さが嫌で嫌で。ところが、数年前に、兵庫県の丹波地方の「山名酒造」さんという造り酒屋さんを訪ねたときに、オオっていう言葉に接して。そこの杜氏さんに、どういうお酒を目指しているのかお尋ねしたんです。そしたら、「肌理の細かい酒」だとおっしゃるので、どういうのが肌理の細かさかとさらに聞いたら、土地の水で育った土地の米を使ったお酒のことだと。灘みたいな強い水があるところには強いお酒ができるけどそれをここで目指しても仕方ない。穏やかな土地には穏やかな水があり、まろやかな味が出る」って丹波の風景も、穏やかな、あえていうなら、まあ少なくとも僕には見慣れた、平凡極まりない風景だったんですが、目が覚まされた気がしたんですね。なんといっても、そこの「奥丹波」、なかでも木札っていうのがほんとうに美味しくて。

 

とかく僕らは、地域とか土地とかいったときに、わかりやすい個性というか、キャッチーなものに注目しがち。だけど、実は、このなんとも平和で穏やかな凡庸さの中にも、可能性が潜んでいる。そんな可能性を掴むことが、先ほど赤木さんがおっしゃった、素材への感謝や謙虚さかなぁ思って、ふと思い出しました。

 

あ、そろそろおしまいの時間が近づいてきたようです。あらためて、どうでしょう。今日のディスカッションを振り返っていただいての感想や、言い足りなかったことなどありますか。その辺いつつ、ぼちぼち締めようかと思います。

 

中川 そうですね。土地性について、家業もそれに近い部分があるのかなぁと思いながら聞いてました。うちはもともと社訓とか家訓とかが一切ない家で、「そんなもの何の役にたつねん」て親父に一蹴されたことがあるんです。それでもなんとなくこう、脈々と続いてきたなにか、みたいなものを背負いながらやっている気がするし、それは土地にも宿るし、物にも宿るし、そういう家業みたいなところにも宿るのかなぁと思いながら聞きました。

 

写真提供:飛騨産業株式会社

 

 

赤木 僕は輪島には縁もゆかりもなくて、漆をやろうと思ったら輪島しか思いつかなくて、輪島行き、全くなにも知らないところに弟子入りをさせてもらいました。一方で、輪島で代々続いている漆職人さんの家とかがあるわけじゃないですか。で、そこの若い職人さんたちはすごく嫌そうにしているわけですよ。それが僕にとってはすごく羨ましかった。でも、ほとんどの人はね、流れ者でしかないので、中川さんなんかは幸せですよね。受け継ぐものは大きくて大変だと思いますが。

 

中川 そうですね。でもなんかそのー、嫌々やっている若者のお話も良くわかるんですが、たぶん僕は父親から一度も「継げ」と言われたことがないんですね。自分でこの仕事を選んだので、それがよかったんじゃないかなぁって気がします。もちろん結果的に、恵まれているなぁとはその分思いますけど、たとえそれがどこであれ自分の選んだ道だから。もちろん「工芸」と「IT」でどっちが儲かんのって言ったらやっぱりITの方が儲かりそうですけど、でもまぁ自分で選んだ道なので。

 

赤木 なんでITはあんなに儲かってそうで、僕らは儲からないんでしょうかね。

 

中川 なんでですかね。それ、ぼやきだしたらあと2時間くらい話せますよね。

 

赤木 同じ世代でも、ITの会社をやっている人はヒルズとかに住んでいてお金があるようで、僕も一生懸命働いているのに、なんでお金がないのかなって思うんですけど(笑)。

 

中川 そうですね。まぁイチローがなんであれだけ稼げるのかは、野球を選んだからだと言いますよね。ハンドボールを悪くいうわけじゃないですが、ハンドボールではそうはならない。僕らはハンドボールを選んだんです。だからハンドボールでも、世界で一流のハンドボールプレイヤーになるために、そこは誇りを持ってやっていきたいなと思いましょう!

 

 (会場 笑い・拍手)

 

赤木 僕も、そう思います(笑)。

 

鞍田 「工芸と工業の次」はハンドボールっていうのが、今日のオチ?(笑)。

 

赤木 でもやっぱり、工芸だから儲からないじゃなくて、もうちょっと真面目に仕事をしている人がお金をね、得られるようになった方がいいですよね。

 

中川 そうですね。ハンドボールプレイヤーは食えないっていうのは良くないので、ちゃんと続けていける状況をつくる。やっぱりいまは、月給7万円ではやっていけないから。それをちゃんとした状況にしたいというのはほんとうに心から思っています。

 

鞍田 うんうん。あと、たぶん、途中何度か話題にあがった「共感」じゃないですけど、いま若い人たちを含めて、民藝工芸とか、丁寧な物づくりとか、いい物、いい作り手に対する共感は、それなりにみんな持ってるんですよね。

 

ただ、ある意味、それってまだまだナイーブで素朴なイメージ程度のものかもしれなくて、産地の現場の議論へとちゃんとつなげていくということが、求められているんだと思うんです。それが、仮に「ハンドボール」だとして野球に負けない誇りをちゃんと育てていくために大事なことだと思う今日はその一だけでも掴むことができたのかなと思っております。

 

赤木 今後の課題は、僕らがつながろうとしている土地はどこにあるのか?と、お金はもうちょっとどこにあるのか?ですね(笑)。

 

中川 両方ある土地を探して行きましょう(笑)。

 

赤木 その両方が大切だと思いますよ。

 

鞍田 はい。では、僕たちのディスカッションはこれくらいとして、フロアからも質問や感想など伺いたいと思います

 

 

質疑応答

 

・質問者1【海外適応について】

先ほど中川さんがおっしゃっていた「伝統工芸は時代に適応していくのか」というお話について。そのときに共感していく相手というのは、今後、日本の人口が減っていくにつれて、どんどん共感するパイも減っていく。そうなったときに、海外は無視できないと思うんですね。いま日本にいる職人さんたちで、海外にどうやって適応していくかというお話を聞きたいと思い、質問しました。

 

中川 ありがとうございます。ピーク時から比べて日本の工芸の産地出荷額は5分の1まで減っているんですね。でも、ちょっと考えてもらいんですけど、日本の人口はバブル期から5分の1にはなってないというのが僕の念頭にはあって。もちろんここから人口が減っていくというのは、間違いなくありそうなんですが、でも、たとえそうであっても、バブル期の5分の1の人口になるには、まだ時間があると思うんですね。だから海外に興味がないというのはアレなんですけど、僕は日本でもまだまだやれる道はあるんじゃないかと思います。

 

鞍田 第一に目指す相手としてね。

 

中川 そう。それがまず第一で、海外に対する適応というのは、やっぱり工芸とか物づくりの中でそもそも自然とか文化、そういうものを孕んでの物づくりだと思うので。文化が違う人に対して共感を得ようと思ったときに、ましてや言葉も違うし、一気にハードルが上がると思うんですよね。だから正直僕はまだ、海外対応は全然できていないですし、逆に海外対応をしないといけないかというのも正直、迷いがありますね。あまり対応しないでもいいんじゃないかと思って、これまでやって来ました。すみません。答えになってないかもしれないですね。

 

鞍田 赤木さんはいまの質問になにかありますか?

 

赤木 例えば、輪島漆器組合みたいなまとまりとして、そういう対策を取ろうとしているんですけど、僕自身はあんまり海外には興味がないですね。漆の器というのは、日本人の生活の中に1000年以上根付いている。いまのお椀のカタチが作られるようになったのは平安時代ですけど、それ以前からずっと、日本人の暮らしに根付いてきたからなんですよね。そこから離れた器はあまり意味がないのではないかなぁと思っているので、僕はあまり積極的には行かないですけど、年に一回だけ海外で個展を開催することにしています。

 

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・質問者2【工芸界で儲けようとすることはいけないことなのか】

カッコイイゴミ箱、インテリアや家具として使えるゴミ箱が世界中を見回してないと思ったので、ゴミ箱の開発をしています。質問は、儲けることはいけないのでしょうか?いろんな工芸関係者とお話をさせていただいていると、あまりにも値段設定が低く、「我々はストイックでならなければいけない」ということがずっと聞こえてくる。もっともっと値段が上がっていかないと、裾野は広がっていかないと思います。その点で、中川さんのようなブランディングが必要かと思うのですが、ひょっとして、その儲けることはいけないのか。そうでなければもっともっとIT業界のように、儲けることに積極的になっていただきたいと思います。

 

鞍田 その点から言えば、ここにいるのは積極的なお二方ですもんね(笑)。

 

赤木 ただその、大きな経済とかグローバリズムに飲み込まれてはいけないと思っているんですね。だからあくまでも、小さな商いがいいと思うんですけど、そのストイックさとか、そういうイメージも「生活工芸」のある意味特徴であったと思うんですけれど。あのー、僕はもっと工芸品の値段は高くないといけないと思っています。地方で職人をやっている人の平均手取りは7万くらいじゃないかって、先ほど中川さんがおっしゃっていましたけど、それではほんとうに暮らしが成り立たないので、高くなければいけないと思います。でも高くても、売れるものにしていく必要も当然あるだろうし、ある意味、儲けなければいけないと僕は思います。

 

中川 儲けようと思っていますし、儲けないと続いていかないことなので。日本には「清貧」みたいな思想がありますよね。でもなんかそれはチョット違和感があるし、ただ、お客さんあってのことなので、「ヴィトンが3万だからうちも3万だ」と言っても誰も買ってはくれないという現実もあるから、そこはテクニカルに解決していかないといけないことはたくさんあるとは思います。

 

赤木 で、ゴミ箱については僕も同感します。ほんとうに欲しいゴミ箱がなくて苦労して来ました。僕は自分の自宅と工房のゴミ箱は全部自分で作りました。で、僕は合板とかがあまり好きではないので、全部無垢の木材で作って、材料代だけで50万くらいかかりました。

 

 (会場 笑い)

 

赤木 出来上がってやって来て、請求書を見たうちの奥様にものすごく叱られました。ということがありました。やっぱりいいゴミ箱は必要ですよ。

 

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・質問者3【「民藝」に代わる新たな言葉を作った方がいいのではないか】

商社という立場で、物を右から左へ流す仕事だと思ってやってきた中で、商社の役割がいらない時代にも来ているということにここ数年で気づきはじめています。それからはなるべく自分でも、取引先が作った物を使って生活をするようにしたときに、作り手さんのことが思い浮かんだり、顔が見えるストーリー的な部分に共感する感覚が芽生えました。豊かな生活というのは、こういうことだと思いました。先ほどのトークで、共感だったり言葉にするのが難しいというお話があったと思うのですが、今回「工芸と工業の次」ということで、例えば「民藝」に代わる新しい言葉が作られたらいいんじゃないかと思ったんです。そういう価値を伝えるべき新しい言葉があったら、関わっている皆さんもその言葉でみんなにわかりやすく発信ができると思う。中川さんや日本工芸産地協会の人が共通に使えて、広く認知される言葉があったらいいのかなと思いました。

 

鞍田 すごい大事な視点ですね。この点はおそらくそれぞれに想いがあると思うので一言ずつお願いします。

 

中川 僕はそういうことを言う立場じゃないと思っていて、やっぱりお二人の方が守備範囲だと思っています。

 

鞍田 むしろ、じゃあ赤木さん。

 

赤木 僕は、言葉をつくることには、チョット否定的。いちばん最初に、鞍田先生から、建築家の小嶋さんの「小さな矢印」のイラストが出ましたけど、それがいいと思うんですね。というのは、柳みたいな人がまた出てきて、言葉を作ったら中心が生まれると思うんですよ。で、その中心で大きな流れができてしまうような時代では21世紀はないような気がしていて、なんとなく共感とか共有はされているけど、その中心がない方がなんかいまの時代には相応しい気がするんですね。それとやっぱり柳もいるし、柳の背景にはいろんな哲学者がずっといて、そこに深みがあるので、柳の「民藝」という言葉に乗っかっていてもいいような気がするんですけど、いかがでしょうか。

 

鞍田 いや、この話は赤木さんとはもう何度もしていることで、まず時代状況としてはそういうことの方が相応しい。そこを耐え抜く中でしか出てこないこともあるのかなって気は僕もしています。なにか、旗をあげるって実は簡単なことかもしれなくって。そこじゃないところに僕らはいま頭を使わなきゃいけないと思うんですが、僕自身の仕事としてはね、やっぱり言葉を紡ぐ人間なので、だからなにも語らなくていいということではなくって、例えば中川さんが言葉にし難いって言った「いい」とか「いいよね」ってところをもっと語るのが僕の仕事でもあるだろうし。だから、なんかレッテルではない、「民藝」のような言葉とはまた別の語り口が求められているのかなと。チョット逃げみたいかもしれませんが、そんな風に思っています。

 

中川 1分前までは言葉があったほうがいいなと思っていましたけど、なくてもいいような気がしてきました(笑)。

 

 (会場 笑い)

 

鞍田 ひよったな(笑)。

 

中川 「なんかいい」って思うのは、赤木さんのなんかいいと僕のなんかいいと思うのはたぶん違うし、そういうものだと思うんですよ。だから言葉ってたしかにある意味宗教的で、そこにすがりにいくと分かりやすくていいかなぁと思ったんですけど、言葉ではないのが21世紀的かもしれないです。

 

赤木 まぁでも、言葉を使って考えていくというのはすごく重要なことなので、その作業はみんなで続けていけたらいいと思うんですけど、ほんとに偶然なんですけど、今日この会場を出たロビーのところに僕の本、たまたま売っているらしいんですね(笑)。もしよかったらぜひ手にとっていただけたら・・。

 

鞍田 ほら、ちゃんと儲ける人だから(笑)。

 

中川 僕の本も偶然売っているんですけど(笑)。でも、赤木さんの本はほんとうに、柳の本を読めなかった僕にとっては救いの本でした。

 

赤木 ありがとうございます。

 

鞍田 ハイ、あのー、やっぱりみなさんそれぞれに興味関心があり、問題意識を持って聞きにきてくださったんだなと思いました。わずかではありましたが、フロアからの声を伺って、この場がグーッと深まって、さらに親密なものになった気がして、うれしくもなりました。あらためて、みなさんに感謝を申し上げて、この場を締めくくりたいと思います。

 

ほんとうにありがとうございました。(終)

 

 

 

◆登壇者プロフィール

 

 

赤木 明登(あかぎ あきと)  塗師。1962年岡山県生まれ。中央大学文学部哲学科を卒業後、編集者を経て1988年に輪島へ。輪島塗の下地職人・岡本進さんのもとで修行後、1994年に独立。現代の暮らしに息づく生活漆器「ぬりもの」の世界を切り拓く。1997年にドイツ国立美術館「日本の現代塗り物十二人」展、2000年に東京国立近代美術館「うつわをみる 暮らしに息づく工芸」展、2010年に岡山県立美術館「岡山 美の回廊」展、2012年にオーストリア国立応用美術館『もの─質実と簡素』展に出品。著書に『二十一世紀民藝』(美術出版社)、『美しいもの』『美しいこと』『名前のない道』(ともに新潮社)、『漆 塗物物語』(文藝春秋)、共著に『毎日つかう漆のうつわ』、(新潮社)『形の素』(美術出版社)、『うつわを巡る旅』(講談社)など。

 

 

中川政七(なかがわ まさしち)  株式会社 中川政七商店 代表取締役会長。1974年生まれ。京都大学法学部卒業後、2000年富士通株式会社入社。2002年に(株)中川政七商店に入社し、2008年に十三代社長に就任、2018年より会長を務める。日本初の工芸をベースにしたSPA業態を確立し、「日本の工芸を元気にする!」というビジョンのもと、業界特化型の経営コンサルティング事業を開始。初クライアントである長崎県波佐見町の陶磁器メーカー、有限会社マルヒロでは新ブランド「HASAMI」を立ち上げ空前の大ヒットとなる。2015年には、独自性のある戦略により高い収益性を維持している企業を表彰する「ポーター賞」を受賞。「カンブリア宮殿」「SWITCH」などテレビ出演のほか、経営者・デザイナー向けのセミナーや講演歴も多数。著書に『小さな会社の生きる道。』(CCCメディアハウス)、『経営とデザインの幸せな関係』(日経BP )、『日本の工芸を元気にする!』(東洋経済新報社)

 

 

鞍田 崇(くらた たかし)  哲学者。1970年兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業、同大学院人間・環境学研究科修了。博士(人間・環境学)。専門は哲学・環境人文学。総合地球環境学研究所(地球研)を経て、2014年より、明治大学理工学部准教授。近年は、ローカルスタンダードとインティマシーという視点から、工芸・建築・デザイン・農業・民俗など様々なジャンルを手がかりとして、現代社会の思想状況を問う。著作に『BETWEEN THE LIGHT AND DARKNESS 光と闇のはざまに』(共著、Book B 2017)、『フードスケープ 私たちは食べものでできている』(共著、アノニマ・スタジオ 2016)、『知らない町の、家族に還る。』(共著、兵庫県丹波県民局 2016)『民藝のインティマシー 「いとおしさ」をデザインする』(明治大学出版会 2015)など。民藝「案内人」としてNHK-Eテレ「趣味どきっ!私の好きな民藝」に出演(2018年放送)。http://takashikurata.com/

 

◎「工芸と工業の次」記事の一覧はこちら

パネルディスカッション① 「工芸と工業の次」哲学者・鞍田崇 1/6
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メインビジュアル:中川政七商店

写真:さんち編集部

テキスト編集:中條 美咲

 

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